ITオンチ、無職ブロガーTG

ラテン音楽、野球、旅、ライフスタイルについて書きます

10年前、私は旅人だった:アルゼンチン、イグアスの滝

自分、大学生だった10年前、一人でバックパッカー旅をしていました。
南米のアルゼンチンから中米のメキシコまで陸路で上がって行きました。
 
2007年の1月から5月までです。
留学先のスペインから直接アルゼンチンに飛びました。
そこからメキシコまで北上しました。
 
最後はメキシコシティから、ロサンゼルスとソウルを経由して、実家のある福岡に帰りました。
 
今日も、その時の振り返りを少し。
今回は、イグアスの滝に行った時の話です。 

イグアスの滝

2週間で定住型の毎日に嫌気がさした私。
通っていた語学学校を辞め、イグアスに向かいました。
 
イグアスには世界三大瀑布の一つ、イグアスの滝があるんです。
 
ブエノスアイレスのバスターミナルからバスで向かいます。
距離は約1,000km。
遠いです。
 
飛行機だと2時間かかりません。
でも、貧乏人には買えません。
今考えると、安いチケットもあったかもしれません。
でも、今みたいに世界各地でLCCがあるという時代じゃなかったです。
 
イグアスには正午ごろ着いたと思います。
イグアスは小さな街です。
 
バスターミナルから歩いていける距離に、安宿がたくさんありました。
適当な安宿にチェックインしました。
 

アドリアンとの出会い

私はその安宿で変なアルゼンチン人と相部屋になります。
 
彼の名は、アドリアン
 
指圧を”シャツ”と発音するマッサージ師です。
何回言っても、ちゃんと発音できません。
 
禅や仏教に興味があります。
アルゼンチン人のくせにベジタリアンです。
 
そのくせに筋肉モリモリです。
趣味は懸垂です。
ホテルの梁とかにぶら下がって懸垂してます。
 

アドリアンイグアスの滝

アドリアンはリーダーシップがあり、面倒見がいい奴です。
同じ宿の旅人たちを連れてイグアスの滝に連れて行ってくれました。
 
アドリアンはガイド役として大活躍。
彼のおかげでスムーズに行きました。
その日の夜、酔った勢いで女の子に絡んでドン引きされるお茶目さも良かったです。
 
彼とは正味1日の付き合いでした。
でも、なぜか彼の半分しか行きていない私の事を気に入ってくれました。
 
数年後、彼は地元のメンドーサという街で寿司屋を開くことを決めます。
アドリアンは、私の本名を自分の寿司屋につけたいと言いました。
 
それだけではなく、そこで板前になってくれと言われました。
かなりいいオファーでした。
 
・基本給
スペイン語レッスン代
・1ヶ月の連続休暇
 
私は断りました・・・
別にしたいことがあったから。
 
本当に寿司屋を出したんだろうか?
今なら、受けたかもしれないな。
 

変だけど、本当にイイ奴。

東日本大地震の時には、メールを来れました。
当時彼はスイスにいました。
 
すぐ募金するから、どこに振り込めばいいか教えてくれ!
スイスの日本大使館に問い合わせてくれ、と伝えました。
 
マジで、イイ奴です。
変な奴だけど。
 
寿司屋のオファー断ってゴメンな。
 
イグアスの滝より、アドリアンの方が記憶に残ってます。
 
もう1度、イグアスに行きたいか?と聞かれたら、"NO”です。
一生に1度でイイでしょう。

10年前、私は旅人だった:ブエノスアイレス

自分、大学生だった10年前、一人でバックパッカー旅をしていました。
南米のアルゼンチンから中米のメキシコまで陸路で上がって行きました。
 
2007年の1月から5月までです。
留学先のスペインから直接アルゼンチンに飛びました。
 
最後はメキシコシティから、ロサンゼルスと仁川(韓国)を経由して、実家のある福岡に帰りました。
 
今日は、その時の振り返りを少し。
 

いざ、アルゼンチンへ。

2007年1月3日
 
大学の交換留学先だったスペインのアルカラ・デ・エナーレスを出発しました。
貧乏学生だったので、ロカールバスを乗り継いでマドリード空港に行きます。
 
アルカラを出るときは、学校の日本人仲間が見送りに来てくれました。
みんな心配してくれました。
 
 

どうしようもない不安に襲われる。

みんなの治安大丈夫なの?という言葉に対して、
 
"オレは大丈夫”
"危なくねえよ”
“危ないって言っても現地人は住んでるじゃねえか”
“日本に居たって、犯罪に巻き込まれる可能性はある"
 
 
とか強気な事を言いつつも、アルゼンチンは知らない場所。
不安でイッパイでした。
 
 
スペインでアルゼンチンに関するニュース記事を読んでいました。
 
その内容は、
 
"首都ブエノスアイレスの公園で、男が群衆に向かって無差別に発砲した”
 
と言う記事でした。
 
 
"オレ、本当にこんなところに行くんだろうか・・・"
 
そう思いました。
 
 
悪いことは知らぬが仏です。
楽しそう、やりたいと思えることだけ事前に知りたいものです。
 
 
スペインを発つ前、スペイン人の友達を紹介されていて、会うことになっていました。
でも、急に今後の旅の不安に襲われ、ドタキャンしてしまいました。
 
 
あれから10年。
海外生活の経験が増え、未知の場所に行く事に不安はなくなりました。
でも、ハタチそこそこだった、当時の自分にとっては不安でしかなかった。
 
 

アルゼンチンに着いた。

スペインを夜の10時くらいに出て、アルゼンチンに早朝に着く便でした。
 
12時間後、ついにブエノスアイレスに到着(してしまった)。
金がなかったので、機内食のパンと紙袋の塩をウエストバックに詰め込みました。
 
自分は、旅に行くと食事より観光です。
食事か新しい場所に行く事のどちらかを選ぶなら、迷わず後者を選びます。
それまでは気づきませんでしたが、この旅を通じて気づきました。
 

空港から市内、そしてホテルへ。

金がないので、空港からもちろんローカル路線バスです。
ブエノスアイレス市内まで2時間くらいかかった気がします。
中心地に入ったところで、下車。
 
バスを降りるときは車内の上にあるロープを引っ張ればよかったみたいです。
でも、そんなの知りません。
“バホ!(降りる!)”って、叫んでました。
周りの乗客から、"なんだこの東洋人”って顔をされました。
 
街中を歩いて、ユースホステルにチェックイン。
人生初ビリヤード。
 
最初のショットは、力みすぎて、前にあったボールを超えてその次のボールをインさせるというミラクルショット。笑
一緒にプレーしたアメリカ人は、"what a f***"って叫びました。
 
あと宿泊客の有志で集まって、フットサルをしに行きました。
ちょっと休憩しようと思って、キーパーをしました。
したら試合終了までずっとキーパーでした。
 
その日は多国籍軍団の中。
いろんな国の人間が集まってました。
日本みたいに「そろそろキーパー変わろうか?」とかないです。
安易にキーパーしない方がいいです。
あとで強引にでもキーパーを変わらせる自信がないなら。
 
 

アルゼンチンのスペイン語を学びたい

アルゼンチンのスペイン語はイタリア語みたいです。
イントネーションに抑揚があります。
 
生で初めて聞いたときは、本当にイタリア語みたいだったので笑ってしまいました。
このアクセント身に付けたいなと思いました。
 
そこで、ブエノスアイレスで語学学校を探しました。
人数が少ないところが良かったです。
 
ブエノスアイレス大学付属の語学学校にも行きました。
でも、クラスの人数が多すぎるのでやめました。
 
結局、繁華街にあった私立の語学学校に行きました。
早速、レベルチェックテストを受けました。
 
同世代くらいの若い姉ちゃんに驚かれます。
 
 
姉:どこでこんなに勉強したの?
私:スペインで。
姉:あなたは最上級レベルよ。でも、今生徒がいないからプライベートレッスンになっちゃう。授業料が高くなるから、一つ下のレベルでグループレッスンにするのはどう?」
 
 
私は快諾しました。
当時の為替レートは、1ドル=3ペソでした。
120ドルくらい払ったと思います。
でも、期間がどのくらいだったかは覚えてません。
 
ただ、先生との相性がイマイチでした。
生徒の話を全然聞かない。
自分の話ばかりする感じ。
 
先生との相性は大事です。
合わないなら語学学校を変えましょう。
 
現地で決められるのなら、実際に1週間とか通ってみて決めるのがオススメです。
大事な時間とお金ですから、納得できるように投資しましょう。
 
 

長期滞在用の宿探し

ブエノスアイレスだと、宿、スペイン語とタンゴがセットになった宿もありました。
今の頭であの頃に戻れるならこのセットを選んだと思います。
あの頃の自分にはそれを強くススメます。
 
でも、私はネクラなところがあるので、スペイン語だけにしました。
そして、宿は別に見つけました。
 
見つけた宿は、サン・テルモ(San Telmo)という地区にある集合住宅でした。
1ヶ月で120ドル。
シャワー、トイレ付きの個室。
 
最初、聞き間違えかと思って何度も聞き返しました。
 
すると管理人のおばちゃんに、
 
”私をからかってるの?”
 
とプチ切れされました。
 
 
それから朝は語学学校、昼からは勉強と街歩きをして過ごしました。
 

貧乏旅行の食生活

食事は1日1回。
一日に一度、20分くらい歩いて、3ドルのピザを食べに行ってました。
トッピングは、チーズとトマトとバジルだけ。
 
空腹は、バナナと3リットルの炭酸飲料でゴマかします。
2週間くらいそんな生活をしました。
 

心境の変化、そして旅へ。

しかし、そんな生活は2週間で終わります。
食事制限は全然問題なかったです。
 
でも、南米まで来て、勉強と街歩きだけという状況に嫌気がさしました。
 
映画モーターサイクル・ダイアリーズチェ・ゲバラのように、アルゼンチンからメキシコまで行ってやろう。
ふと、そう思いました。
 
私の場合、バイクじゃなくて、バスでしたが。
私と同世代の人は、モーターサイクル・ダイアリーズを結構みているんじゃないでしょうか?
 
旅の道中で、日本人のバイク旅人いっぱい見かけました。
絶対、映画の影響を受けた人たちです。
 

ブエノスアイレス安宿暮らしの驚き

1. 招かれざる客Gとの添い寝
1月、アルゼンチンは真夏です。
気温は35度近くまで上がっていました。
 
でも、部屋に冷房はありません。
夜は窓を開けないと寝られません。
 
しかし、大問題が。
安宿で小型ゴキブリが大繁殖していたんです。
保健所?が対策に回るくらいのレベルでした。
 
そのゴキブリさん。
夜中にベッドに這い上がったり、天井や窓から落ちて来たりするんです。
 
暗闇の中で視界が悪い中では、触覚や聴覚が冴えます。
冴えなくていいのに。
 
人肌恋しいゴキブリさんたちが、人が金を払っているベッドにただ乗りして来ます。
触覚が肌に触れるのがすごく鮮明に感じられます。
そして、彼らの軽やかな足音もよく聞こえます。
 
普段、私は殺生をしません。
家の中のクモとか小さな昆虫も外に逃がします。
 
しかし、この時ばかりは、自分の中の修羅が目覚めてしまいました。
 
10分後、気がついたらゴキブリの亡骸が山ほど。
右手は、旅の供のウォーキングサンダル握りしめていました。
 
2. 不信感に基づく近所づきあい
安宿にはたくさんの家族が暮らしていました。
今思うと、近隣諸国から移住して来た低所得層の人たちだったと思います。
 
私は旅費を切り詰めるため、地元のデパートで鍋を買い自炊を始めました。
人生史上最悪にマズいメシを食べたあと、使った鍋を天日干ししていました。
 
すると、誰かがドアをノックします。
開けると子供でした。
早口でまくしたてます。
 
子供が言っていることは聞き取りづらいです。
でも、一生懸命何か言っています。
鍋を指差しています。
 
よく話を聞くと、
 
「あんなところに物を置いてたら、誰かに盗まれるよ」
 
防犯意識の低い東洋人に忠告してくれたのでした。
 
 
全部で10世帯くらいの集合住宅、しかもお互い顔見知り同士で盗みがあるのか?
自分にはよく分からない世界でした。
 
誰も信頼できないのか?
それは悲しい。
 
一緒に協力はできなくてもいい。
でも、最低限、近所から物を取るのはヤメようぜ。
 
そう思いました。
 
3. 屋上の物干しスペースには入場時間があった
集合住宅の屋上は洗濯用の手洗い場と物干しスペースがありました。
ある日、手洗いした服を取り込みに行きました。
すると、入り口に鉄格子があって、中に入れない。
 
手書きで何やら書いてある。
 
"使える時間:06:00〜18:00"
 
時計を見ると18時05分。
ちょっと時間を過ぎている。
 
 
そもそもなんで共用スペースに営業時間があるのか?
それは、共用スペースに住んでる人がいるからでした。
 
屋上の住人に懇願しました。
お願いだから取り込ませてくれと。
 
でも、ガン無視。
私が東洋人だからか?
 
強く主張も交渉もできず、翌朝、取り込みに行く羽目になりました。

なんだかんだで、ずっと手放さないもの

自分、同じ仕事が続けた事ないです。
同じ内容の仕事を続けたのは、最長で2年です。
 
飛ぶ、リンク
 
飽きっぽい奴です。
 
 
でも、そんな自分にも、ずっと興味を持ち続けているものがあります。
 
それは、
 
・野球が上手くなりたい
スペイン語が上手くなりたい
中南米の事をもっと知りたい
中南米とずっと関わり続けたい
 
です。
 
 
自分と野球
 
 
野球はストリートから始めました。
自分が子供の頃は、駐車場や道端でまだ野球をやっていた時代でした。
小学校でも野球のシーズン中は、放課後に友達と野球していました。
 
小4の頃、クラスの友達の誘いで正式に地元のソフトボールチームに入団。
それまでポッチャリ君だったのが、夏を過ぎて痩せました。
 
小5からはレギュラーとして活躍。
ポジションはキャッチャー、ファースト、外野でした。
 
小6は、サードとショート。
バッティングはイマイチでしたが、守備は安定していました。
 
中学でも野球部に入ります。
早熟で体も大きく、当時の監督曰く、技術的にも学年一。
 
足も速くて、50m、7秒ジャスト。
スポーツテストでも中1とは思えない数値を出します。
みんなから期待の新人としてもてはやされました。
 
しかし、数ヶ月で辞めてしまいました。
 
リンク
 
 
結局、辞めてから1年後、硬式のクラブチームに入りました。
しかし、監督と馴染めず退団。
中学の野球部に戻ります。
 
部活では春先に打撃開眼でレギュラーを掴みかけますが、急に打てなくなりベンチ要員に。
そのまま夏の大会も終了。
 
最後の大会後に監督から言われたのは、
 
「辞めずに続けていれば、打てなくてもずっと4番で使ってたんだけどな」
「辞めずに続けていれば、もっと上のレベルに行けただろうに」
「高校でゼロから頑張れ」
 
 
不完全燃焼に終わった自分は、高校でも野球部に入ります。
入学してすぐは、受験勉強で訛りきっていた体のせいでからっきしダメでした。
 
しばらくして、体も絞れてきた頃、練習でホームラン性の当たりを連発します。
練習試合にも出してもらえるようになり、夏の大会でのベンチ入りの可能性も出てきました。
 
しかし、大会前から打てなくなり、ベンチ入りは叶わず。
新チームでも主軸として期待されますが、失恋などがきっかけで鬱ぎ込むようになり、しばらく練習に行かなくなりました。
 
1年生大会の前日に復帰し、監督の温情で代打出場しました。
しかし、バットを一度も振らず見逃し三振。
 
2年生に上がっても、先輩を出し抜くだけの競争心がなく、代打要員に。
3年生になってレギュラーとなるも、打てない&イップス発症でベンチ要員に。
最後の夏の大会は、出場する事なく終えました。
切ない終わり方でした。
 
こんな感じで、イケてない野球人生でした。
でも、野球を上手くはなりたい。
今でも思ってます。
今でも何かスポーツをやる機会があれば、野球をします。
 
 
 
スペイン語をネイティブより上手くなりたい」
 
大学在学中から、ずっとそう思っています。
 
 
書く力は確かに褒めてはもらえますが、やっぱりネイティブには総合力で叶いません。
 
大きい数字、アドリブ力、状況描写力、面白いことを言う力・・・
 
ネイティブだからこそ、できるものってあります。
 
 
今までの自分の経験上、大きく3つの人種がいます。
 
1:ずっと母国で育った教養あるネイティブ
2:日本で学校教育を受けた日系人(親はネイティブ)
3:全くスペイン語に関係ない環境で育った日本人
 
自分は、3のカテゴリーの中では上の方にいると思います。
でも、いずれは2を出し抜いて、1の奴らを追い抜きたい。
そんな気持ちでいます。
 
野球でこう言うやる気を出せば良かったのに。
そう思います。
 
 
中南米の事をもっと知りたい、ずっと関わり続けたい
 
スペイン語を上手くなりたい」の延長線ですが、
 
中南米の事をもっと知りたい、ずっと関わり続けたい」と思っています。
 
中南米の何について知りたい?
→ 各国の政治、経済、文化、自然、料理、方言に興味があります。
 
中南米のどこについて詳しく知りたい?
→ キューバ、コロンビア、プエルトリコベネズエラ、アルゼンチン、メキシコ。
 
それぞれの国ごとに特に何が知りたい?
→ 前までは中南米と広かったのですが、今では特にココという国が狭まって来てます。
 
キューバ:ダンス、音楽、料理、方言、自然・・・キューバの全て。住みたい。
・コロンビア:音楽、料理、方言、自然
プエルトリコ:音楽、料理、自然
ベネズエラ:音楽、料理、自然
・アルゼンチン:ダンス、肉、自然
・メキシコ:自然、料理
 
 
この3つへの関心だけは、ずっと自分の心の中にあります。
なぜか、いろいろあっても飽きないし、意欲が湧くんです。
 
理屈じゃないんですよね。

日本野球のアンダー世代指導者は、子供の才能を潰している

こんにちは!
 
自分は前から腹の中に溜めていた事があります。
 
 
それは、
 
"日本野球のアンダー世代指導者は、子供の才能を潰している”
 
という事です。
 
 
自分が何を見て、こんな問題提起をしているかについて説明します。
 
自分はもともと九州の人間ですが、今は千葉に住んでいます。
今年初めて、夏の甲子園千葉県大会をテレビで見ました。
 
そして、気づいたんです。
 
"投げ方が不自然なピッチャーが、あまりにも多すぎるという事実"に。
 
彼らは、投げるまでの動作に引っ掛かりが多い。
投げるためのパワーが全然生み出せていない感じ。
動作に引っ掛かりがあるせいか、腕がスムーズに出てこない。
 
スピードも出ない。
コントロールもつかない。
フォームの力感や腕の振りと投げるボールの勢いが一致しない。
 
この症状を呈しているのは甲子園には縁がなさそうなチームのピッチャーばかりです。
(直接的で申し訳ないです。)
 
 
いつから彼らは、今のような不自然なフォームになっていったんだろう。
なんでこんな子供たちがたくさん生まれるのか。
なんで一生懸命なアンダー世代が、こんな不自然なフォームで投げているのか。
 
 
自分は、彼らの事を直接知っているわけではありません。
でも、自分の体験から容易に推測がつきます。
 
大人から教えられるうちに、不自然な投げ方になってしまったのではないかと。
 
私を含め、小さい頃から大人にいじられた子供たち。
みんな千葉県の彼らと同じようなぎこちないフォームなんです。
例外なく。
なので、ほぼ間違いないと思います。
 
 
タチが悪いのは、大人は良かれと思って教えている事です。
そして、素直な子供ほど大人の言う事を聞いてしまう事です。
 
子供も最初は、違和感のある動きだと感じます。
でも、権威ある大人から言われると従ってしまう。
大人がいうから正しいんだろうと。
 
そのうち、体が慣れて違和感を感じなくなります。
その不自然な動きを繰り返します。
変なクセが染みつきます。
 
大人の言う事を聞かない悪ガキの方が、善意の害を受けずに済みます。
プロになるような選手は、そういうタイプが多いです。
 
 
自分の体験を少しお話しします。
 
小学校時代に地元のソフトボールチームに入りました。
そこでコーチに言われました。
 
お前は横から投げている。
今の投げ方では肩を壊す。
だから、しっかり上から投げろ。
 
このコーチ、野球未経験者でした。
厳しいけど、優しくていい人でした。
 
でも、ケガをさせないようにという彼の善意が、変な投げ方という望まない結果になってしまいました。
 
 
そして、自分は変な投げ方だと気づいていなかった。
コーチも自分は正しいと信じていた。
周りの大人も指摘してくれなかった。
 
ボランティアでやっている近所のオジサンが善意で一生懸命教えた結果です。
知識のない大人が中途半端に教えると、基本こういう結果になります。
 
 
その後、自分は中学でも野球を続ける事にしました。
「不自然な投げ方だ」とみんなにバカにされました。
 
軟球にボールが変わって、思うように球が行かなくなりました。
コントロールにも難が出始めます。
 
練習でノックを受けます。
でも、コントロールが定まらず暴投に継ぐ暴投。
監督には暴投するたびに怒られます。
 
今度はコントロールをつけようとして投げるとちゃんと腕を振れと怒られる。
もしくは、何も言われない(相手にされない)。
 
もう、私に逃げ場はありませんでした。
どうしてコントロールがつかないのか分からないから。
 
・コントロールは二の次で、思いっきり投げる
・暴投しないように手加減して投げる
 
この2つしか知らなかった私。
知っている唯一のやり方を否定されたら、どうしていいか分からない。
しかも、知っているやり方を否定する監督も正解を導く方法を教えてくれない。
 
多分、先生もどう修正してやったらいいのか分からなかったんだと思います。
自分もそういう悪いクセのある子供にどう教えていいのか分からないし。
 
 
 
日本の子供の数は減少しています。
スポーツの多様化に伴って、野球の競技人口は減少しています。
 
これから野球をする子供はどんどん減っていくでしょう。
競技人口が少ないスポーツは、レベルが落ちるものです。
今まで以上に、アンダー世代からちゃんと育成する事が必要だと思うんです。
 
 
だって、野球ファンとしては、日本がずっと世界に名だたる野球大国であって欲しい。
 
野球が盛んな外国の人と話すとき、
 
イチローはレジェンドだ。
ダルビッシュマー君マエケン。日本のピッチャーはレベル高けーな。
・大谷って、そんなにヤベー奴なのか?
・あとは長く活躍できるホームランバッターと内野手だけだな。
 
こんな感じで、選手のレベルの高さを認識し続けて欲しい。
「掘ったら何か出てくるんじゃねえか」という夢を持たせる国であって欲しい。
 
 
こんな事を言っても、すぐに現場は変わらないでしょう。
全国の少年野球に張り付けるほど、知識のある指導者はたくさんいないだろうし。
 
 
だったら当面、どうすべきか。
私は、アンダー世代のレベルでは、あまりフォームをいじらない方がいいと思います。
知識がないなら、グッとこらえて、見守ってあげるくらいがいいと思う。
 
 
 
プロ野球選手にならない子供の方が多いです。
 
であれば、
 
"野球を一生楽しめる土台を築いてあげる"
"せめて現役の間、ケガをしない体の使い方を教えてあげる"
 
このくらいがいいと思います。
 
 
 
不自然な投げ方のせいでケガをしたり、満足にプレーできない子が減って欲しいです。
なんで強いボールが投げられないんだろうと悩む子供が減って欲しいです。
なんでコントロールがつかないんだろうと悩む子供が減って欲しいです。
 
自分はそう思っています。
自分が何かできる訳ではないけれども。
 
自分が誤ったオーバースローを教えられて、歳を重ねるごとに投げ方が分からなくなった苦しい経験からそう思います。
 
 
大人は善意で、そして、子供ができない姿が歯がゆくて、いろいろ教えてしまいます。
子供も上手くなりたいし、彼らなりに大人の期待に応えようと努力してしまいます。
 
でも、その善意が、必ずしもいい結果に結びついているとは言えない。
大概、逆の結果になっている。
千葉県予選の高校生たちのように。
かつての自分のように。
 
 
野球をやる主体はあくまで子供。
生半可な知識で子供の未来を奪わないで欲しい。